音 楽 雑 談
音楽雑談 Vol.10

キエフ・オペラ
ーウクライナ国立歌劇場オペラー
を鑑賞する



 2006年10月27日(金)大阪フェスティバルホールで、初来日の、キエフ・オペラ=ウクライナ国立歌劇場オペラ=のジャコモ・プッチーニ作曲「トゥーランドット」の公演を鑑賞した。当日の主なキャストは、トゥーランドット=リジヤ・ザビリャスタ カラフ=オレクサンドル・フレツ 皇帝アルトウム(トゥーランドットの父)=ステパン・フィツィチ ティムール(カラフの父旧ダッタン王)=ボフダン・タラス リュー=リリア・フレヴツォヴァ ピン=ペトロ・プリイマク パン=パヴロ・プリイマク ポン=ドミトロ・ポポウ 以上の皆さんですが、何しろ初来日なので、どの歌手の名前も知らない。トゥーランドットは、ドラマティックなソプラノで、聴き応えがあった。カラフは、声量が乏しく少々物足りなさを感じた。皇帝アルトウムもティムールもそれぞれ説得力があった。この日のリューは出色で、カラフの命を守るために自殺をするという、その純情な役によく合った、美しい声が、とても印象に残った。それと、このオペラの狂言回し役の、ピン、パン、ポンが演技力と、アンサンブルの良さで、楽しめた。
 あらすじを簡単に記すと,
 第1幕
 北京の城門の前で、役人が「トゥーランドット姫に求愛する者は、姫が出す3つの謎を解かねばならない。もし解けなかったら処刑する」と言う勅書を読み上げている。その門の前で、離ればなれになっていた、ダッタン王ティムールと奴隷リューが、カラフ王子と再会する。折しも、求愛に敗れたペルシャ王子が処刑されるところであった。刑を見届けるために現れたトゥーランドット姫を見たカラフは、その美しさに魅了される。そしてカラフを愛するリューの願いを聞かずに、姫に求愛する。
 第2幕
 ピン,パン、ポンの3人の大臣たちは、ここ数年で、多くのトゥーランドット姫への求婚者が、謎解きに失敗しては処刑されていることを憂いて、話し合っている。場面が変わって、人々が皇帝の広場に集まっている。皇帝アルトゥムは姫の残虐さを嘆き、カラフに求婚を取り下げるように求めるが、カラフは拒む。そして、トゥーランドットの3つの謎かけに挑む決意を固める。そこへトゥーランドットが現れ、なぜこのように残虐になってしまったのか、経緯を語る。やがて、3つの謎をカラフに出すが、カラフは次々解いて、トゥーランドットを打ち負かす。うろたえる姫に、カラフは「明日の朝迄に私の名前が判れば、私は死んでもよい」と言う。
 第3幕
 トゥーランドットは「北京では、今宵は誰も寝てはならぬ。夜明け迄に、あの男の名を明かせ。出来なければ皆死刑だ」と命ずる。ピン,パン、ポンの3人の大臣たちも、カラフを説得しようとする。そこへ人々が、ティムール王とリューを捕らえて連れてくる。リューは王をかばって、「私だけが彼の名を知っている」と言って、トゥーランドットに愛の尊さを説く。そして、リューが秘密を守って自害する。それを見て、トゥーランドットはうろたえる。やがて姫と2人きりになったカラフは、トゥーランドットに熱い口づけをする。するとそれ迄氷のようだったトゥーランドットの心は、見る見る解けていった。カラフが自分の名を明かすと、姫は父である皇帝に「彼の名は<愛>」と叫び、カラフの心を受け入れる。

 この作品は、プッチーニの最後のオペラで、第3幕のリューの死の後は、プッチーニの息子トニオが、当時有力な作曲家だった、フランコ・アルファーノに依頼したものである。補筆されたものは、このアルファーノ版と、2001年に、ルチアーノ・ベリオが補筆したものとの2種類あり、今回の公演は、アルファーノ版であった。
 ぼくは、2002年のザルツブルグ音楽祭、ワレリー・ゲルギエフ指揮、ガブリエーレ・シュナウトのトゥーランドット、ヨハン・ボータのカラフ、クリスティーナ・ガイヤルド=ドマスのリュー、というDVDを持っているが、これが、ベリオの補筆になるものである。リューの死の後の、カラフとトゥーランドットの二重唱から、オーケストレーションが、プッチーの手法から、ベリオのそれへと移ってくるのが判る。これはこれで良いのではないかと思う。アルファーノ版が、プッチーの作風を継承しようとしているのと対照的である。
 解説めいたことが長くなってしまったが、キエフ・オペラは、舞台装置も、衣装もとても豪華で美しく、歌も平均点以上で、コーラスの美しさが特筆ものだった。
 2002年のザルツブルグ音楽祭の「トゥーランドット」もそうだったが、最近オペラを、現代の背広やワンピースで上演することが増えているが、悪い傾向だと思う。モーツァルトの「コジ・ファン・トゥッテ」を背広で、「蝶々夫人」を着物ではなく、妙な衣装と装置で上演しているDVDを観たが、中に入っていけなかった。あの衣装ならまだ、前述の、ザルツブルグ音楽祭の「トゥーランドット」は衣装に工夫があり、かぶっている仮面にも理由があり、まだましだと思う。でもやはりキエフ・オペラの方が美しく感じた。
 オペラは総合芸術だといわれるが、音楽,文学、美術が、バランスよく発揮されなければ、僕は入っては行けない。どの時代の、どんな背景の、どういう物語なのかは、オペラを鑑賞する上で、重要な要素である。従って、衣装も、装置も、古典派、ロマン派の作曲家のオペラに、シュールレアリスムは合わないと感ずる。
 今回の、キエフ・オペラ=ウクライナ国立歌劇場オペラは、装置,衣装の美しさを含めて、大変な感動を与えてくれたと同時に、オペラについて、いろいろと考えさせてくれた。
11/11 2006
<この項終わり> 



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